三十三間堂
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◆ 三十三間堂の建築
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三十三間堂
− 国宝 三十三間堂
 (こくほう さんじゅうさんげんどう)

 正式名は、蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と通称されます。これは、東面して、南北にのびるお堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴によります。「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表しています。
  平安後期、約30年の間、院政を行った後白河上皇が、自身の職住兼備の「法住寺殿・ほうじゅうじどの」と呼ぶ院御所内に、当時、権勢を誇った平清盛の資財協力によって創建したものでした。 ところが、そのお堂は建長元年(1249)、市中からの火災により焼失し、鎌倉期・文永3年(1266)に再建されたのが現存のものです。朱塗りの外装で、堂内は、花や雲文様の極彩色で飾られたといい、今もわずかにその名残を停めています。
  地上16メートル、奥行き22メートル、南北120メートルの長大なお堂は、和様、入母屋造り本瓦葺きで、手前からはるか彼方へ一点透視的に漸減する眺めは、胸のすく壮快さです。

− 三十三間堂の免震法
(さんじゅうさんげんどうのめんしんほう)

 お堂の建てられた平安期、都には見上げるような大建築がありましたが、その多くは、地震や火災のために、短期間で姿を消してしまいました。この反省から、工人たちは様々な工夫を凝らしたのです。
  まず、基礎地盤には、砂と粘土を層状に堆積して地震時の地下震動を吸収する〈版築・はんちく〉を用い、堂内の屋台骨は、柱間を2本の梁でつなぐ〈二重虹梁・にじゅうこうりょう〉とし、外屋の上部も内・外柱に二重の梁をかけて堅固さを増加しました。 加えて、構架材の柱や長押、梁は“揺れ”を予測した組み方とし、土壁面積を極力小さくした上で、溝を切った柱に板壁として横板を落し込む〈羽目板・はめいた〉とするなど、お堂は、波に揺れて浮ぶ筏のように“揺れ動く”建築としての免震工法が施こされたのです。

秋爽の瓦と明障子
化粧屋根裏と二重虹梁
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